広陵高校野球部を長年率いてきた中井哲之監督。
甲子園で何度も名勝負を演じ、数多くの名選手を育ててきた名将として知られています。
そんな中井監督ですが、実は高校時代から一目置かれる存在だったのをご存じですか?
実力はもちろんのこと、その爽やかなルックスで「イケメン球児」としても注目を集めていたんです。
この記事では、そんな中井哲之監督の若い頃の姿を振り返りながら、現役時代のエピソードを紹介します!
中井哲之の若い頃がイケメンすぎる!

▲ 広陵高校時代の中井哲之監督(当時18歳)のお写真がこちら。
当時の新聞にも取り上げられたほどの存在感で、ユニフォーム姿がよく似合いますね!
当時のチームメイトによれば
明るくて責任感があり、自然と周りを引っ張るタイプだった
とのこと。すでに今の監督としての資質の片鱗が見えていたようです。
中井哲之は広陵高校出身!現役時代のエピソード3選

広陵高校野球部の名将として知られる中井哲之監督。
実は彼自身も、かつてはこの名門・広陵高校で白球を追いかけたひとりの球児でした。
今回は、中井哲之監督の現役時代(高校時代)にまつわる印象的なエピソードを3つご紹介します!
ノーサインで盗塁!?俊足が光った試合
中井哲之監督は当時、俊足巧打(※)の内野手として知られていました。
(※)足が速くてバッティングもうまい選手のこと
監督からサインが出ていなくても自分の判断で盗塁を決めることができたそうです。
甲子園でもこの脚力を活かしてチャンスを広げ、相手チームを驚かせる場面があったとか。
判断力が高く、自分で試合を読める選手だった
と、当時の監督も語っています。
雑用も率先してこなす“縁の下の力持ち”
野球選手は、グラウンド整備や道具の片付けなど、地味で大変な作業もたくさんあります。
中井哲之監督は、そうした仕事を自らすすんで引き受けていたそうです。
まさに、縁の下の力持ちですね。
この姿勢は、後の指導スタイル「選手を家族のように思いやる」という哲学にも通じています。
春・夏甲子園で大活躍!華々しい高校球児時代
1980年の春の選抜、そして夏の甲子園、中井哲之監督は2大会連続で甲子園に出場。
- 春は遊撃手として準決勝進出
- 夏は三塁手で準々決勝へ進出
と、強豪校の中でも安定した活躍を見せました。
新聞にも取り上げられ、「広陵の要」として注目された存在だったんです。
中井哲之が広陵高校の監督になったのはいつから?

中井哲之監督が広陵高校野球部の監督に就任したのは1990年4月、わずか27歳のときでした。
母校である広陵高校で教員として勤務しながら、指導者としての道を歩み始めたのです。
そして現在(2025年)までに、監督歴はなんと約35年!
その間に、
- 選抜優勝2回(1991年・2003年)
- 夏の甲子園準優勝2回(2007年・2017年)
という輝かしい実績を残しています。
まとめ
今回は中井哲之監督の若い頃について紹介しました。
イケメンと言われた現役時代から俊足で判断力に優れた選手として注目を集め、甲子園でも大きな活躍を見せていた彼。
雑用も率先して行う責任感の強さがあり、その姿勢はやがて指導者となってから哲学へも引き継がれています。
わずか27歳で広陵高校野球部の監督に就任し、以後35年にわたり生徒たちの指導にあたりました。
かつての“イケメン球児”は、努力と人間力で“名将”へと成長し、今なお多くの球児たちに影響を与え続けています。