日本ボクシング界で注目を集めるOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者・波田大和さん。
力強い左ストレートと高いKO率でファンを魅了し、王座を守り続ける実力者です。
今回は、そんな波田大和選手のプロフィールやボクシング経歴を紹介。
そして2025年8月2日に行われた神足茂利選手との激闘と、その後に訪れた悲しい出来事までをまとめてお届けします。
波田大和のwikiプロフィール

波田大和選手のプロフィールをまとめました。
- 名前…波田大和(はた・やまと)
- 生年月日…1997年1月18日
- 出身地…埼玉県草加市
- 身長…171cm
- 血液型…A型
- 所属ジム…帝拳ジム
- 階級…スーパーフェザー級
- 趣味…ジェンガ
- 好きな食べ物…甘いもの(トマトは苦手)
- 憧れの選手…山中慎介選手
インスタはやってる?
波田大和選手のSNS情報はこちらです。
- Instagram…@yamato.boxing
- X…@yamato_boxing
Xは、試合や練習風景の投稿がメイン。
Instagramでは、プライベートの様子もチェックすることができます。
父親は大相撲の行司!
波田大和さんの父は、大相撲の行司・木村寿之介(きむら・じゅのすけ)さん。
叔父は元小結の旭道山さんという格闘技一家で育ちました。
波田さんは、試合に挑む理由をこう語ります。
父さんに褒められたい。母さんの喜ぶ顔が見たい。両親に褒められるために戦っています
家族への思いが、リングでの強さの源になっているのです。
▼ご両親の写真がこちら

波田大和のボクシング経歴

力強い左ストレートと高いKO率で注目を集める波田大和選手。
アマチュア時代から頭角を現し、プロ入り後も順調にキャリアを重ねています。
ここでは、デビューから現在までの歩みを振り返ります。
アマチュア時代の活躍
波田大和選手は、高校からボクシングを始め、花咲徳栄高校時代にはインターハイと国体で準優勝を経験。
アマチュア戦績は48戦39勝(21KO)9敗という高い勝率を誇ります。
持ち味は左ストレートと冷静な試合運びで、この頃から将来を期待されていました。
プロデビューと初タイトル
波田大和選手は2015年10月3日、後楽園ホールでプロデビュー。
2回TKO勝ちという華々しいスタートを切りました。
2020年2月には、日本ユーススーパーフェザー級王座を獲得。
帝拳ジム所属選手として初の日本ユース王者となり、一気に注目を集めました。
OPBF王座獲得と防衛
波田大和選手は2024年6月1日、坂晃典選手をTKOで下し、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を獲得。
OPBF=東洋太平洋ボクシング連盟
この勝利は波田さんのキャリアの大きな転機となりました。
その後、2025年4月には渡邉卓也選手にTKO勝ちで初防衛に成功。
プロ戦績は約20戦17勝(16KO)2敗1分。
高いKO率と安定した試合運びで、日本ボクシング界のホープとして活躍を続けています。
波田大和との試合後に神足茂利が急逝!

▲写真左が波田大和選手・右が神足茂利選手
2025年8月2日に行われたOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ。
王者・波田大和選手と挑戦者・神足茂利選手が激突しました。
激闘の末、判定は1対1の引き分けとなり、波田大和選手が2度目の王座防衛に成功。
しかし、その数日後に神足茂利選手の訃報という衝撃の知らせが届きました。
激闘の末のドロー決着
試合は序盤から互いに一歩も引かない展開。
波田大和選手の鋭い左ストレートと神足茂利選手の粘り強い攻めが交錯し、観客を魅了しました。
最終ラウンドまで手に汗握る攻防が続き、判定は1対1の引き分け。
波田大和選手がV2防衛を果たしました。
試合後の容体悪化と訃報
しかし試合後、神足茂利選手は控室で体調を崩し、意識がもうろうとした状態で救急搬送。
診断は急性硬膜下血腫で、そのまま緊急手術が行われました。
懸命な治療が続けられましたが、神足選手は8月8日午後10時59分、28歳という若さで帰らぬ人となりました。
その後、波田大和選手のXおよびInstagramの更新は一切ありません。
遺族や関係者への思いやりから、一定期間は公の発言を控えるという判断をしているのかもしれません。
まとめ

今回は、波田大和選手のプロフィールやボクシング経歴を紹介しました。
2神足茂利選手との一戦では激闘を繰り広げ、V2防衛を達成しましたが…。
その直後に訪れた神足茂利選手の訃報は、ボクシング界全体に深い悲しみをもたらしました。
波田大和選手はリングでの強さと同じく、誠実で真っすぐな人柄が、多くのファンに支持される理由です。
今後も彼の歩みを見守り、その活躍を応援していきたいと思います。
神足茂利選手のプロフィールはこちら▼