プロボクサーとして着実にキャリアを積み、将来を嘱望されていた神足茂利選手。
しかし2025年8月に突然の訃報が報じられ「一体どんな人物だったのだろう」と、別の形で注目を集めています。
本記事では、神足茂利選手のwiki風プロフィールとボクシング経歴を紹介。
彼の死因や試合後に起きた出来事についても、最新情報をまとめています。
神足茂利のwikiプロフィール

まずは神足茂利選手のプロフィールを見ていきましょう。
- 本名…神足茂利(こうたり・しげとし)
- 生年月日…1996年9月2日(享年28)
- 出身地…愛知県名古屋市
- 身長…約178cm
- 血液型…B型(報道による)
- 階級…スーパーフェザー級
- 所属ジム…M・Tジム
インスタやTwitterはやっている?
神足茂利選手のSNS情報は次のとおりです。
- Instagram…@k_shige92
X(旧Twitter)流行っていないようです。
Instagramでは、試合のことはもちろん、私服やプライベートでの様子も見ることができます。
全国でも希少な珍しい苗字!
「神足」という苗字は、日本全国で約760人しかおらず、全国順位は第9,610位と非常に珍しい苗字です。
特に多いのは兵庫県・山口県・神奈川県などで、神足茂利選手の出身地・愛知県にはごくわずかしかいません。
そのルーツは京都南部の地名「神足荘」にあり、古くは清原氏や源氏といった名門と関係があるとされています。
神足茂利のボクシング経歴まとめ

神足茂利選手は、長身を活かした鋭いジャブと粘り強いファイトスタイルで、多くのファンを魅了したプロボクサー。
ここでは、神足選手の歩んだボクシング人生を、
- アマチュア時代
- プロデビュー後の成長
- タイトルマッチ挑戦
の3つの視点から振り返ります。
アマチュア時代の活躍
神足茂利選手は、愛知県立瀬戸北総合高等学校を卒業後、日本大学に進学。
大学ではボクシング部に所属し、全国大会でも好成績を残しました。
アマチュア通算成績は73戦50勝(うちKO多数)23敗という立派なもの。
この時期からすでに、長身を活かした戦い方で注目を集めていました。
プロデビューと成長
2019年10月5日、神足選手はプロデビュー戦を迎え、見事TKO勝利で華々しいスタートを切ります。
その後も着実に勝ち星を積み重ね、東洋太平洋(OPBF)スーパーフェザー級5位、日本同級5位までランクアップ。
攻撃的なボクサーファイタースタイルと、タフさを兼ね備えた試合運びでファンの支持を得ました。
タイトルマッチへの挑戦
2025年8月2日、神足選手はついに東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチに挑戦。
後楽園ホールで行われたこの試合は、波田大和選手との12回フルラウンドの激闘となりました。
判定は三者三様のドロー。
惜しくも王座獲得はならなかったものの、互角以上の戦いぶりは高く評価されました。
神足茂利選手が急逝!死因は?

プロボクサーとして順調にキャリアを重ねていた神足茂利選手。
しかし2025年8月、28歳という若さで急逝したという衝撃的なニュースが伝えられました。
ここでは、その死因や試合後の経緯について、最新の報道をもとにわかりやすくまとめます。
試合からわずか数日後の悲報
2025年8月、プロボクサーの神足茂利(こうたり しげとし)選手が28歳の若さで急逝しました。
日本ボクシングコミッション(JBC)の発表によると、死因は急性硬膜下血腫。
これは脳の外側に血液がたまり、脳を圧迫する非常に危険な症状です。
タイトルマッチ直後に急変
神足選手は8月2日、後楽園ホールで行われた東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ(12回戦)に挑戦。
波田大和選手との激闘は判定で引き分けに終わりました。
試合直後は会話もできていたものの、控室に戻った後に急激に意識が低下。
救急搬送され、緊急開頭手術を受けましたが、8月8日午後10時59分に息を引き取りました。
まとめ

今回は、神足茂利選手のwiki風プロフィールとボクシング経歴を紹介しました。
アマチュア時代から輝かしい実績を重ね、プロとしてもタイトル戦に挑むなど、将来有望な選手だったことがわかります。
今回の悲報は、ボクシング界に安全対策の重要性を改めて突きつけています。
神足選手のご冥福を、心よりお祈りいたします。
▼対戦相手だった波田大和選手のプロフィールはこちら