プラモデルやミニ四駆で有名な模型メーカー「タミヤ」。
その名を世界に広めた立役者が、田宮俊作さんです。
2025年7月に90歳で亡くなるまで…
模型の魅力を多くの人に届け続けた彼の人生には、たくさんのドラマがありました。
この記事では、田宮俊作さんのプロフィールや経歴をわかりやすくご紹介します。
田宮俊作のwikiプロフィール

まずは、田宮俊作さんのプロフィールについて詳しく見ていきましょう。
- 名前…田宮 俊作(たみや・しゅんさく)
- 生年月日…1934年(昭和9年)12月19日
- 出身地…静岡県静岡市
- 没年…2025年7月18日(90歳没)
SNS情報は?
田宮俊作さん本人のSNSアカウントは存在しません。
プライベートな発信をするタイプではなく、SNSで情報を発信することもなかったようです。
ただし、彼が会長を務めていた模型メーカー「タミヤ」の公式SNSアカウントは存在。
- Instagram…@tamiya_inc_jp
- X…@tamiyainc
タミヤの商品情報やイベント情報などが日々更新されています。
▼田宮俊作さんを祝うイベントの様子
模型は“教育”であるという思想
田宮俊作さんは、模型は単なる遊びではなく「教育の一環」と位置づけていました。
説明書を読み、順番通りに組み立てることで、集中力・観察力・論理的思考が自然と身につくと考えていたのです。
失敗してもやり直せるのが模型の良さ
と語り、挑戦する心を育てる手段としても模型に価値を見出していました。
こうした考え方は、現在もタミヤの哲学として受け継がれています。
田宮俊作とプラモデルの出会いは?経歴まとめ

「タミヤ」といえば、世界中で親しまれている模型メーカー。
その成長を支えたのが、会長を務めた田宮俊作さんです。
木製模型からプラモデルへと進化させた立役者として知られる彼の経歴を、わかりやすくまとめました。
学生時代から模型の道へ
1934年、静岡県で生まれた田宮俊作さん。
静岡高校を卒業したあと、1958年に早稲田大学の法学部を卒業しました。
そしてその年に、父親が創業した「田宮商事合資会社(のちのタミヤ)」に入社。
田宮俊作さんはそこで設計や企画の仕事を始め、模型づくりの基礎を学びました。
プラモデルへの転換と挑戦
1960年代、世界ではプラスチックでできたモデル(いわゆるプラモデル)が主流でした。
田宮俊作さんはこの流れに目をつけ、自社の模型を木製からプラモデルに切り替え。
そして、これが大成功!
高い品質とリアルなデザインが話題になり、タミヤの名前は世界中に広がっていきました。
田宮俊作が会長になるまで!経営者としての歩み

ここからは、田宮俊作さんが会長になるまでの歩みを紹介します。
- 1977年:タミヤの社長に就任
- 1984年:代表取締役社長として本格的に経営を担うように
- 1994年:静岡模型教材協同組合理事長として「静岡ホビーショー」を推進
- 2008年:代表取締役会長に
- 2017年:会長兼社長として現場に復帰
- 2024年:会長職に専念
田宮俊作さんは40年以上も会社のトップを務め、海外進出や新しい商品開発に力を入れてきました。
特に「ミニ四駆」や「RCカー」は子どもたちに大人気となり、今でも愛され続けています。
▼1976年頃の田宮俊作さんの様子
まとめ

今回は田宮俊作さんのwiki風プロフィールと経歴について紹介しました。
彼は、模型を通じて「ものづくりの楽しさ」や「学びの大切さ」を広めたパイオニア。
タミヤを世界的なブランドへと導いたその功績は、今もなお多くのファンに受け継がれています。
田宮俊作さんの信念や哲学は、これからも模型業界に影響を与え続けるでしょう。